だいじょうぶだった日々(荻原永璃)
あけましておめでとう。
おひさしぶりです。ふたりとも元気に過ごしていますか?
元気というのは正確ではないのだけど、なんだろう、なにかしら日々にいいことがあればいいなと思っています。しばらく会ってないこの間に、もちろんいろんなことが起きていてちょっと最近とても言葉にできないこともあるけれど、それでも、だからこそ、あなた方に楽しいことがあったらうれしい。美味しいもの食べたとか、猫が目の前通ったとかそういうぐらいでも。
とりあえず私は元気にしています。
長いこと書かなかったのにはそんなに大した理由もなく、大変ばたばたしてはいたけど、多分これを義務にしたくないなというところがあったのかなと思う。急いだり責めたり気負ったりする対象にしないでやっていきたいなということの実践、の実験みたいな。
よかったとは思っていないけど、こういう取り組みを出来たことはおもしろかった。しかし交換日記なので、巻き込んでいるのはあり、お付き合いいただいて本当ありがとう。
休んでいる間に実は別の交換日記をしばらくしていたことがあり、ここらへんには少し罪悪感というかちょっとした後ろめたさもあるんですが、ともかく、秋に演劇をつくる機会があり、そのときしばらく交換日記をしていました。
ここのことがあって思いつけたんだと思う。
東京と京都のそれぞれ離れたところで暮らす俳優の二人芝居で、一ヶ月少しのあいだZOOMで製作をかさねて、三週間週末だけ奈良に行って会ってつくる、上演するっていう形でした。
この二人は演劇をつくるまで面識がなくて、しかしお互いを演じ合うことを私はお願いしようとしていたものだったから、何かを共有するためにどうしたものかと思って、それで交換日記。
期間が短かったので日替わりでやっていて、それなりに各々大変だったとは思うのだけどいいものでした。
質問を考えたり答えたり、思い出や考えていることをちゃんと言葉にしたり、それをただ単に仲良くなるためとかでなくて、一緒に演劇をつくるために誠実にお互いが限られた時間の中でやれるかたちで続けていたのがよかった。
私にとっても久しぶりに演劇をつくる機会だったので、あらためていろんなことを考えたり言葉にする必要があったし、それを製作参加者みんながやることで対等になりやすかったのかなと言うのもある。権力と責任を等分に担う場ができた、みたいな。
内々でやったもので公開の予定はないのだけど、こういうことをまたやれたら、とか、他所もやってたりするのかな、そうだったらたのしいな、とか思ってる。
去年はそれも含めて、生きて演劇をやることに向き合い直すような一年をやっていて(演劇のリハビリとかしてた)、それは自分が生きることの見直しでもあったし、またそこから他人と生きていくために手を伸ばすようなことだったとも思う。
小学生ぐらいから私はこのままだと自分は死にやすい・死にたいと思わされやすいな、という危機感があったので、結構ずっとそれに抗うためにエネルギーを使ってきたのだけど、最近はだいぶ大丈夫になってきました。たのしいと思うことが多い。
それで思い出したのだけど、危機感を持っていた頃からもなんとなく大丈夫というかんじ、だけはずっとあるのでこれは私の宝の一つなのかもしれない。自分が死にたいのではなく、死にたいと思わされやすい、みたいに転嫁できる程度の大丈夫さ。
これは早々に、ここじゃないどこかがあることを経験則としてわかっていたこと、ここじゃないどこかをたくさん持っていたことがある。母の実家のあった島とか、隣町の習い事とか、本とか。大丈夫じゃない今ここはたしかにあるけれど、そうでないぜんぜん違うところもあって、そういった別の場所で別のやり方をすればどうにかなることもあると信じられた。
そういう少し遠い、今ここじゃないを模索する方法として他人と関わったり、演劇をつくったり、しているところがある。
あと私自身も誰かの今ここじゃないになれることとかもあるので、諦めずやっていこうみたいな。
しかし大丈夫ってめちゃくちゃつよそうな言葉でちょっとびっくりすることもある。大で丈夫ってもり過ぎではないか?なのでひらがなで書くか、漢字で書くなら中丈夫ぐらいが適切かもしれない、私においては。小よりかはある。おみくじみたいですね。
最近はそんなかんじのことを考えたりしながら働いたり生活したり、演劇したりして生きています。
お二人はどうですか?また様子を聞けたら嬉しいです。
近々あつまりもやれたらいいな。また連絡します。その時はよろしくお願いします。
ということを書いていたのはちょうど元旦の頃で、投稿のタイミングを見計らっているうちに全然今ここが大丈夫でない人や場所について考えざるを得ないことがどんどん増えてどうしたものかとなっています。
しかしそれでも私自身は元気であり、元気であるなりにやることやできることもあるのだろうと、あるいは無くても、生きていくのだとも思っている。
年始に七福神巡りをしたんですが、その道中で三人姉妹の話をしたのを思い出します。
小雨が降ったり、晴れ間が覗いたり、その中で神社を探してひたすら歩いていた。
生きていきましょう、いつでも、ずっと、そう唱えている。