葉桜をやってみる

葉桜をやってみる は、荻原永璃・渋木すず・新上達也がときどきひらく集まりの名前。 岸田國士「葉桜」の上演をしようとすることを起点に、演劇や生活、労働、結婚などについて、 もっといいかんじにやる方法を一年ほど模索したりしている。 葉桜の上演時期は未定。ゆたかな副産物を収穫したい。

だいじょうぶだった日々(荻原永璃)

あけましておめでとう。

おひさしぶりです。ふたりとも元気に過ごしていますか?

元気というのは正確ではないのだけど、なんだろう、なにかしら日々にいいことがあればいいなと思っています。しばらく会ってないこの間に、もちろんいろんなことが起きていてちょっと最近とても言葉にできないこともあるけれど、それでも、だからこそ、あなた方に楽しいことがあったらうれしい。美味しいもの食べたとか、猫が目の前通ったとかそういうぐらいでも。

 

とりあえず私は元気にしています。

長いこと書かなかったのにはそんなに大した理由もなく、大変ばたばたしてはいたけど、多分これを義務にしたくないなというところがあったのかなと思う。急いだり責めたり気負ったりする対象にしないでやっていきたいなということの実践、の実験みたいな。

よかったとは思っていないけど、こういう取り組みを出来たことはおもしろかった。しかし交換日記なので、巻き込んでいるのはあり、お付き合いいただいて本当ありがとう。

 

休んでいる間に実は別の交換日記をしばらくしていたことがあり、ここらへんには少し罪悪感というかちょっとした後ろめたさもあるんですが、ともかく、秋に演劇をつくる機会があり、そのときしばらく交換日記をしていました。

ここのことがあって思いつけたんだと思う。

東京と京都のそれぞれ離れたところで暮らす俳優の二人芝居で、一ヶ月少しのあいだZOOMで製作をかさねて、三週間週末だけ奈良に行って会ってつくる、上演するっていう形でした。

この二人は演劇をつくるまで面識がなくて、しかしお互いを演じ合うことを私はお願いしようとしていたものだったから、何かを共有するためにどうしたものかと思って、それで交換日記。

期間が短かったので日替わりでやっていて、それなりに各々大変だったとは思うのだけどいいものでした。

質問を考えたり答えたり、思い出や考えていることをちゃんと言葉にしたり、それをただ単に仲良くなるためとかでなくて、一緒に演劇をつくるために誠実にお互いが限られた時間の中でやれるかたちで続けていたのがよかった。

私にとっても久しぶりに演劇をつくる機会だったので、あらためていろんなことを考えたり言葉にする必要があったし、それを製作参加者みんながやることで対等になりやすかったのかなと言うのもある。権力と責任を等分に担う場ができた、みたいな。

内々でやったもので公開の予定はないのだけど、こういうことをまたやれたら、とか、他所もやってたりするのかな、そうだったらたのしいな、とか思ってる。

 

去年はそれも含めて、生きて演劇をやることに向き合い直すような一年をやっていて(演劇のリハビリとかしてた)、それは自分が生きることの見直しでもあったし、またそこから他人と生きていくために手を伸ばすようなことだったとも思う。

小学生ぐらいから私はこのままだと自分は死にやすい・死にたいと思わされやすいな、という危機感があったので、結構ずっとそれに抗うためにエネルギーを使ってきたのだけど、最近はだいぶ大丈夫になってきました。たのしいと思うことが多い。

 

それで思い出したのだけど、危機感を持っていた頃からもなんとなく大丈夫というかんじ、だけはずっとあるのでこれは私の宝の一つなのかもしれない。自分が死にたいのではなく、死にたいと思わされやすい、みたいに転嫁できる程度の大丈夫さ。

これは早々に、ここじゃないどこかがあることを経験則としてわかっていたこと、ここじゃないどこかをたくさん持っていたことがある。母の実家のあった島とか、隣町の習い事とか、本とか。大丈夫じゃない今ここはたしかにあるけれど、そうでないぜんぜん違うところもあって、そういった別の場所で別のやり方をすればどうにかなることもあると信じられた。

そういう少し遠い、今ここじゃないを模索する方法として他人と関わったり、演劇をつくったり、しているところがある。

あと私自身も誰かの今ここじゃないになれることとかもあるので、諦めずやっていこうみたいな。

しかし大丈夫ってめちゃくちゃつよそうな言葉でちょっとびっくりすることもある。大で丈夫ってもり過ぎではないか?なのでひらがなで書くか、漢字で書くなら中丈夫ぐらいが適切かもしれない、私においては。小よりかはある。おみくじみたいですね。

 

最近はそんなかんじのことを考えたりしながら働いたり生活したり、演劇したりして生きています。

お二人はどうですか?また様子を聞けたら嬉しいです。

近々あつまりもやれたらいいな。また連絡します。その時はよろしくお願いします。

 

 

ということを書いていたのはちょうど元旦の頃で、投稿のタイミングを見計らっているうちに全然今ここが大丈夫でない人や場所について考えざるを得ないことがどんどん増えてどうしたものかとなっています。
しかしそれでも私自身は元気であり、元気であるなりにやることやできることもあるのだろうと、あるいは無くても、生きていくのだとも思っている。

年始に七福神巡りをしたんですが、その道中で三人姉妹の話をしたのを思い出します。
小雨が降ったり、晴れ間が覗いたり、その中で神社を探してひたすら歩いていた。
生きていきましょう、いつでも、ずっと、そう唱えている。

お前を攫うためのバンジー(新上達也)

当時の自分の精神を埋め尽くしていたのは、「お前は生きていてはならない」という命令だった。お前は人間としてふさわしくない、だから死ね、という声が、誰に言われずとも常に脳の奥底にうごめいていた。その原因として思い当たるものはいくつかあるが、それをここに書く気持ちには、今でもなれない。

 

そして2015年、私はバンジージャンプをすることにした。死ぬ準備のためだ。

 

バンジージャンプといえば山奥だとか、車がないと行きづらい場所にあるものだと思っていた。しかしインターネットで調べると、電車に乗って1時間ほどで行ける遊園地があり、そこにバンジージャンプ台があることが分かった。値段は安く、予約も要らないらしい。とにかくそこに行きさえすれば、バンジージャンプをすることができる。ひとまず翌日の準備を済ませ、風呂に入って歯を磨いて(死ぬつもりなのに、どうして?)布団に入った。

 

睡眠薬を飲んではいたが、いつもの通りそれがすぐに効くことは稀で、結局眠りにつくことができたのは3時を回ってからだった。目を閉じている間、ずっと自分から自分に対する声が聞こえてきて、うるさくて眠ることができない。当時はずっとそんな感じだったように思う。

 

翌日、睡眠不足のまま電車に乗り、1時間ほどで目的の遊園地に着いた。入園料を払い、ロープウェーで移動する。高所恐怖症の自分にとって、ロープウェーは最悪の移動手段のひとつだ。おまけに睡眠不足のせいで、恐怖に対する耐性が普段よりも低くなっているようだった。

 

最悪の気分のまま、バンジージャンプがある場所まで移動する。遊園地の一番奥に、工事現場で使われる足場のようなもので作られた塔のようなものがあり、それがジャンプ台になっていた。

ジャンプ台に登った後で後悔する客が多いためだろう、料金表の隣には「お支払い後のキャンセルは一切受け付けません」という記述がある。わざわざこんなところまで来て、キャンセルするのは私にとっても意に反する。ひとまず無視して、料金を支払うことにした。

 

「ではベルトをお着けしますので、ジャンプ台の最上階にお上がりください。そらで最上階にいるスタッフが、ロープをベルトに接続いたします」

およそ4階建てのビルほどの高さがあるジャンプ台には、螺旋状の階段がついており、それを自分で登る必要があるようだった。今、俺にこの塔を登れって言ったのか?高所恐怖症なのに?

 

睡眠不足のうえ高所恐怖症の私は、バンジージャンプ台の階段を一段一段、手すりを使いながらゆっくり上がっていく。腹の底から気持ちが萎びていくのを感じる。死刑台に上る死刑囚ってこんな気持ちなんだろうか。(なんでこんな気持ちになりながら、俺はバンジージャンプなんかしないといけないんだろう?)

 

ものすごくゆっくりした足取りではあったが、ようやくバンジージャンプ台の頂上に到達した。すでに「こんなこと早く終わらせてくれ」という気持ちが二、三度よぎっていたが、自分の頭の中から響いてくる「お前は死ね」の声だけが、自分をここまで登らせてくれた。

 

「こんにちは!バンジージャンプ挑戦ありがとうございます!」頂上にいたスタッフは妙にテンションが高かった。「ロープお着けいたしますので少々お待ち下さい!」スタッフは手際よく、ベルトのカラビナバンジージャンプのロープを取り付けていく。いよいよだ、と思った。

 

目の前には柵のない足場だけがある。その下を見ると、4階建ての高さの下に、安全に着地するための巨大なクッションがあり、そこに大きなサメが口を開けたイラストが描かれていた。

 

「では今から、『3、2、1、バンジー!』と言いますので、『バンジー!』のタイミングで、頭から落ちてください!」スタッフの説明が、死刑宣告のように聞こえる。(立っているのさえきついのに頭から落ちるのか?)目がくらくらする。スタッフの誘導に従い、柵のない足場の、その先端に立たされた。

 

「では行きますよ!3、2、1、バンジー!」落ちようとして、反射的に両脇の手すりを掴んでしまった。こんなのできるわけがない。

 

「手すりを掴むと最悪の場合骨が折れる危険がありますので絶対にやらないでくださいね」テンションの高かったスタッフが冷静な声で注意する。でも無理だろ、こんなの。「キャンセルなさいますか?」料金は返ってこないんだろ、分かってる、やるよ、「では行きますね、」なんでこんなことしないといけないんだ、「3、2、1、バンジー!」またしても、体が動かない。「キャンセルされなくても、次ジャンプできなかった場合はキャンセルになりますのでご注意くださいねー」スタッフの冷静な注意が入る。分かってる、死ねばいいんだろ。「では最後ですよ!」知ってるよ、「行きますよ!」だから、「3、」お前は、「2、」早く、「1、」

死ね、

 

「バンジー!」

 

跳んだ。

 

サメの口が描かれた巨大なクッションに、身体がものすごい速さで近づいていく。しかしその直後、自分の体はなにかに思い切り引き寄せられ、同時に身体の前後が反転し、空が、見えた。

 

(青空だ)

 

その後、自分の身体はロープの弾性により何度か上下運動をした後、クッションの上に着地した。

 

ロープとベルトを外してもらい、地面にたどり着いて、呼吸をととのえる。ようやく終わった。死ぬことなく、無事に「死ぬ」ことができた。

 

私の頭の中にはずっと、「死ね」という声が渦巻いていた。包丁を見ればそれで自分の心臓を刺す妄想をし、電車を見ればプラットフォームから飛び降りる自分の姿を幻視していた。私はどうしても、死ななければならなかった。「死ね」という声は、より正確には「お前は正しくない存在なのだから、死ななければならない」という、義務感のようなものだった。でも、(俺は、)死にたくは、なかった。死にたくはないが死ななければならない私は、「死なずに死ぬ」方法を探していて、その手段としてバンジージャンプを思いついたのだ。高所恐怖症の私なら、飛び降りさえすれば、「死んだ」ことになる。でもバンジージャンプなのだから、実際に命を失うことはない。だから、俺は、いま、こうして生きているのだ。

 

あまりにもくだらない計画ではあったが、わずかながら効果はあった。まず、高所恐怖症はもっとひどくなり、「あのビルから飛び降りれば死ねるかな」というくだらない空想はできなくなった。自分の中では、実際に「死んだ」ことがあるからだ。もう二度と死にたくないという記憶のおかげで、その気持ちは少しだけ凪いでくれた。

 

ただ、例えばこれを誰かに勧めたりしようなどとはまったく思わない。死にたいという気持ちの中身は人それぞれで、私とは比較できるものではないだろう。私のそれとは比較にならないぐらい、「死ななければならない」という気持ちに押しつぶされそうな、あるいは、すでに押しつぶされてしまった人たちが存在している以上、こうすれば上手くいくなどとは、当然口が裂けても言えない。

 

でも、バンジージャンプをしたとき。地面に落ちる寸前に引き上げられて、あの青空を見たときに、一瞬思ったのだ。あなたにも、このロープがついていればいいのに。

 

芽吹くときまで(渋木すず)

荻原さん、新上、こんにちは。
二人の日記があまりにも良すぎたので、さてどうしたものかと考えあぐねていたら書くのが遅くなってしまいました、ごめんなさい。

結局気合を入れ過ぎてよいしょっと書いても長続きがしそうにないので、普通に最近の出来事について書きます。

一昨日かな、ふとお風呂場を掃除したくなって、考えていました。というのも、風呂桶にずっと落ちない汚れがあったのです。水垢でもないようだし、少しべとっとしているし、これは皮脂汚れなのかな、と思っていました。かなり強めにこするとやっとはがれるくらいのもので、通常のお風呂掃除で使っている洗剤ではびくともしないのです。

で、気が付きました。皮脂汚れは、おそらく酸性だ、と。油汚れも酸性の汚れなのだし、お肌と同じ弱酸性、なんてCMが昔ありましたし(これは関係ないのだと思うのですが)。
そして思い出しました。汚れを落とす仕組みというのは、逆の性質をもつ洗剤で中和させることによって成り立つと。家の中のアルカリ性の洗剤を探すと、洗濯洗剤がありました。

持って回った言い方でアレなのですが、結論としては皮脂汚れには洗濯洗剤です。アルカリ性に傾いた洗剤を使ってください。

洗濯洗剤をぬるま湯で溶かして、しばらく風呂桶をつけると、汚れはスポンジでこする程度でするすると落ちました。なんでこんなことに気が付かなかったんだろう。
中学理科の知識が総動員されたような発見でした。

手元にあるスマートフォンで調べるともちろんその効果はよく知られていて、この考察と実験結果がおおむね正しいことが分かりました。
グーグルは簡単に答えを教えてくれますが、この手間のかかる発見の過程は私にとってとても楽しい体験でした。

ということで、最近は「発見してみる」のにハマっています。
最近といっても、これまでの日々は発見だらけですので、より厳密にいうと「『発見』をもっと意識して味わってみる」ということでしょうか。

もう一つ、最近「発見」したことがあります。
先日、「葉桜をやってみる」のDiscordの集まりの時にお二人に話したと思うのですが、それは自分の「消えたさ」「死にたさ」についてでした。これはあくまでも自分の場合の話です、ということを断っておいて、以下に書きます。

さて、お二人は知っての通り、私はいまうつ病の治療中です。
わたしの漠然としたこのモヤモヤは、小学生から、あるいは幼稚園生の頃からあったものだったので、もうかなり長くこの状態とともに生きています。
ここ数年は、幸いにも、私の人生に関わってくれた沢山の人のおかげで、そして自分自身を見つめ直せるようになったこともあり、非常に悪かった状態からは脱しつつありました。

しかし最近、社会情勢や仕事や家庭のさまざまな揺らぎが重なり、それら一つ一つは些細なことでも、いつの間にかぐったりとしている日々が続き、とうとうかなりしんどい状態になっていたのです。
20代のころと違って、ぺしゃんこ一歩手前でそれに気が付けて、なんとか病院に行って薬を試したり、とにかく寝たりしたことによって、今は波はあるものの少しずつ回復してきています。

そんなこんなで過ごしていると、医者から認知行動療法の話も出ていたのも手伝って、ふと今の自分の「死にたさ」についてよくよく考えてみようと思い至りました。

幼少期~20代くらいまでの「死にたい」は、現実のつらさや悲しさ、抱えきれない痛み、自分はここにいてはいけないような焦燥感に対しての「死にたい」でした。しかし、今のしんどさは、どうやらそれとは違うようなのです。

よくよく自分の脳内と話して、衝動的に襲ってくる死にたさが、いつ訪れるのか考えてみました。そしてこの死にたさを分解してみると、これは「恥ずかしい」ということのようでした。
びっくりしました。私は死にたいのではなく、恥ずかしくって消えたいだけだったのか!

過去にしてしまった自分のひどいこと・情けないことを思い出す→(恥ずかしい)→死にたい!
という、なんともまあ一直線な思考だったのです。この「(恥ずかしい)」の部分をすっ飛ばして、自動的に「死にたい!」に移動していたことにやっと気が付きました。
このくらいの速さが我が家のWifi回線にもあればいいのですが、思考はこのように速くてもあまり良くないように思います。
「思考の癖」とか、「認知のゆがみ」とか、いまいちピンと来ていなかったものが実感できた瞬間でした。

それからは、とっさにいつもの死にたさが襲ってきても、その死にたさを慌てず咀嚼して、恥ずかしさや、その時の感情を受け止めようとしています。私、恥ずかしいことしたな。酷かったな、と。どうしたら今後もう二度と酷いことをしなくて済むか、なにか対策はあるか、何を学べばいいか、そういう方向にゆっくりと思考を移すようになりました。これが「反省」や「後悔」なのでしょう。

ゆっくり考えることは楽ではなく、しんどいですが、このことに気が付いてからここ数週間、劇的に私の死にたさは薄らいでいます。気分には波があると思うのであまり過信はしていませんが、とにかく、自分の考え方に、もう一つ別の道が現れたようで、驚いています。
(何度も書くようですが、これは私の、回復しつつある今の状況においてなので、くれぐれもこのように深く考えてみることが万人に良い、ということではないのをご承知おきください。)

お二人の日記を読んで、いろいろなことを考えました。いろいろなこと、というのは、主に「場」や、「ことば」、「発見」みたいなもののことです。

30歳を過ぎて段々と生きやすくなってきているのは、やっぱり場があることと、ことばがあること、それによって発見があることのおかげかなと思っています。

病院だったり、友達と遊ぶことだったり、この「葉桜をやってみる」みたいな楽しい試行錯誤の場だったり、川だったり。今住んでいるところには、好きな「場」が多いです。
好きなことばを唱えたり、友達や他者のことばに影響を受けたりして、ことばをつかって思考して、自分の考え方や、過去のとらえ方自体を変えるようにもなってきました。

こうした「場」や「ことば」は、知らず知らずのうちに私の中の「発見の芽」になってくれていて、然るべき時間が流れると、ある日そっと芽吹くものなのかもしれないな、と思います。
私が演劇を好きなのも、きっとその発見の芽をたくさん持ち帰ることができるからでしょう。

この交換日記によっても、すでに私の中で多くの「発見の芽」が育っている予感がしています。

昨今の状況でリアルな場にも行きづらく、交流もしづらい今、このような「場」と、二人の「ことば」があることは、私にとってとても幸せなことです。

この場がどこに向かっていき、ことばがどのように交わされるのか。ワクワクしますね。
次の日記も楽しみにしています。
それでは。

 

 

演劇をしに行く(荻原永璃)

新上くん、前回はすばらしい記事をありがとう。
交換するに足るだけの言葉をわたしは持ち合わせているか、これは大変なことになったぞと若干焦っています。

短歌のこと、わたしは少し呪文のように思っていたのですごくしっくりきた。
そして今まで読んだ歌たちの中のいくつか、わたしにとっても愛唱するものたちがあることも思い出します。ふと歩いているときに連想からそれらのことばたちが浮かび、その歌からこれを読んだ、あるいは同じように思い出すだろう誰かのことを少しだけ思う。
その、ちょっと遠いけど、たしかにある感じを好きです。
そういう他人の存在をわたしは愛していて、だから演劇をやり続けているのだと思っている。

今日はこれから演劇をしに行くので、そのことを書きます。

近所の劇場が最大1日、自由に使えるようになるという知らせを先月知って、電光石火の勢いで問い合わせをした。何をするかは一切決めてなかったし、だれとやるかもわからなかったけど、とにかくある時間をわたしは得ることができた。
今日、14時から22時まで、わたしは演劇をすることができる。

このコロナ流行下、コロナ禍の渦中において、わたしは己に対して対面での製作と上演を禁じた。他者と集まること自体がある種の加害性を帯びてしまった中で、これまでどおりの演劇を続けることは不可能であったし、やりたくなかった。より良く生きるための演劇を標榜する身として、何の手立てもなく、続けることは自身に対する矛盾だった(それらへの足掻きのひとつが、この葉桜をやってみるでもあるわけですが今日は割愛)。

疫病の流行に対して、人が集まらないことはどうしたって有効だろう。ただその生活の中で倦み、失われていくものに対して演劇は必要だ。
たしかにそこに、わたしでない誰かがいて、そのひととなにかを分け合えるということ。
なによりも圧倒的な、人間のからだ、声、ここにいる、そういった情報たち。

手探りから始まった二年間のなかで、すこしだけ安全にわたしたちは集まれるようになりつつある、と最近は思っている。その限られた安全の中で、わたしは劇場にあつまること、演劇をやってみることに手を伸ばしてみようとしている。

演劇をするのはこわい。ひさしぶりなのできちんとできるかも怖いし、他人に迷惑をかけないかも、うっかりひどいことをやらかしはしないかも(何しろわたしは演出を担うので、パワーバランスには人一倍敏感である必要がある)、テキストや俳優に対して適切に向き合えるかも、もうなにもかも怖い。今日という時間を溝に捨て、また居合わせた人びとに捨てさせることにならないか。

書いてみて、漠然とした恐怖が形になり、大したことじゃないなと思えてきた。自分がうまくできないかもしれないという不安は大きいが、それは重要なことではない。恐ろしいのは、他人という存在であり、その恐怖はそれだけ尊くて大切であるがゆえなのだから、喜ばしいことでもあるのだ。

何をして遊ぼうかずっと悩んでいる。楽しみにしている。今日はわたしの他に3人の俳優が来る。いずれも素晴らしい人達だ。きちんと顔を合わせるのは数年ぶり、演劇をするものこうなってからははじめて。
今日までどうしていたか、どんなふうに生きて、ここまでたどりついたか。
今何をしたいか、何を交換したいか、ここでどうありたいか、あるいはいつかたどり着きたいものたちのこと。

あまりにも長過ぎる、果ての見えないあつまれなさに対して、それでもその先を見つめ続け手を動かし続けられるようでありたい。
今日のコンセプトの一つはだから、楽屋(清水邦夫)です。あるいはそこで扱われている三人姉妹(チェーホフ)かもしれない。
このことはずっと考えている。

長い長い夜、終わりなき稽古、そうして生きていかなければならない。
生きて、再び喜びの日を待つ。

どうなるかわからないけれど、全力で今日という機会を遊び倒そうと思っています。
真剣に楽しむ。眼の前にいるあなたのことを喜び、今ここにいない、いつか会えるかもしれないだれかに声を投げかける。
とっても楽しみにしています。よかったら遊びに来てください。今日でも、いつかでも。
また会いましょう。

あなたを待っていない公園(新上達也)

私は、演劇や短歌といったものに多少関わっているが、現在はWebシステム開発という仕事で生計を立てている。

Webシステム開発の仕事は、概ね以下のように行われる。
ある人が「このようにあれ」と願ったもの(仕様)について、どう実現するかを考え、実現方法を設計書(プログラム)として記述する。その設計書がインターネット上に配置されると、それをもとにシステムが動き出し、利用者とさまざまな情報をやりとりできるようになる。

こういったシステムのほとんどは、正しい情報を利用者に入力してもらうための仕組みを備えている。
例えば、住所を入れるべき場所に自分の名前を書いてしまったり、生年月日として未来の日付を入れてしまうと、システムが意図した通りに動かなくなってしまう。
それを防ぐために、間違った情報を入力するとエラー画面が表示されたり、そもそも間違った情報が入力できないような設計がなされている。

あなたが普段触れているブログやSNSスマートフォンアプリといったサービスも、ほとんどが「このようにあれ」という願いのもとに作られており、利用者にもそれを求めている。

---

ところで、ブログやSNSに限らず、それにアクセスするための端末も、さらに言えばあなたが利用している食物、衣服、住居といったものも、さまざまな企業や個人が「このようにあれ」と願い、設計したものだ。
食物はあなたに食べてもらうことを期待して作られているし、衣服はあなたに着てもらうことを期待して編まれている。

あなたが日々接する人々も、あなたに対して何らかの役割を期待している。
それは仕事かもしれないし、態度やふるまいかもしれない。日常の会話にすらも「このように受け答えしてほしい」という期待が込められている。
あなたが親しくしている人も、あなたに幸福であってほしいと望んでいるはずだ。

私たちは日々、「このようにあれ」という願いに囲まれて暮らしている。

そういった願いは、私たち自身の「こうありたい」という願いに沿っているならば問題ないが、その願いに沿うことができなくなったときに、私たちを苛んでしまうことがある。
あなたに食べてもらいたい食物、着てもらいたい衣服、あなたに幸せでいてほしい人々は、あなたが食事をとれなくなったり、衣服に見合わない姿になったり、幸福でいつづけることが難しくなったときに、あなたに失望のまなざしを向ける。
食べなかった食物は腐り、着なかった衣服はゴミになり、あなたの周囲にいる人々は、あなたへの態度を変えてゆくだろう。

その状況に置かれると、私たちは「願いを無視する」か、「願いに沿うように自分を変える」かの二択を迫られる。
前者は、それが選べるならよいが、いつも選べる選択肢ではない。期待にそぐわない選択は、いつもエラーになったり、それが選べないような設計になっている。
そして後者は、前者よりももっとひどく、自分の心を痛めつけることになる。
周囲の期待どおりにふるまう自分でいるために、自分の願いを小さく縮めて、願っていないものを願わされてしまう。

もっとひどいときは、期待どおりにふるまえない自分をこの世から消してしまうことで、それらとのバランスを保とうとするかもしれない。
そうなってしまうと、私はもう二度と、あなたに話しかけることができない。あなたが本当は何を願っていたのかは、誰にも分からないまま、腐った食物や着なかった服と一緒に、ゴミ袋の中に沈んでしまう。

---

それらの願いと付き合うのに疲れて、自分がいなくなったほうがいいと思い至ったとき、私は公園や河川敷、空港などの場所に行くことで、心を落ち着かせることがある。
これらの場所は、(もちろん何らかの意図を持って設計されているのだろうが)そこにいる人に何らかの態度を強いることがあまりないように思えるからだ。
公園にはいつ行ってもいいし、いつ立ち去っても、誰にも失望されない。
「自分が誰で、どういう状態であっても、そこにいることが許される場所」があるおかげで、私はぎりぎり精神の安寧を保つことができている。

しかし、そういった場所に行く体力や機会も、ときには失われてしまうことがある。
もしも今、あなたがまだ少し体力が残っていて、それももうすぐ失われそうならば、「ことば」をひとつ、用意しておいてほしい。
そのことばは、あなた自身のものでも、誰かが作ったものでもいい。ただし、あなた自身が良いと感じたことばでなくてはならない。
長いことばでもいいが、できれば文章にして一行程度の、暗記できる短さだと望ましい。

いざというとき、あなたが願いのとおりにふるまえず、自分を消してしまいたくなったら、暗記しておいたことばを、その代わりにつぶやくといい。
そのことばは、何も願いがなくなったあなたの代わりに、あなたの願いをうたうだろう。
あなたが誰であっても、どんな状態であったとしても、暗記しておいたそのことばが、まだあなたがあなたであったときのことを知っているからだ。

そのことば自体が、あなたを直接救ってくれたり、あなたの道標にならないとしても、別にかまわない。
しかし、「別にかまわない」という事実は、公園や河川敷のように、あなたをその場所に留めておくことを許してくれるはずだ。

---

そのことばは、あなたにとって適切なものである必要があるので、探すのは少し骨が折れる。
もしかしたらぴったり合うものがなくて、自分で作らないといけない場合もあるかもしれない。

もし自分で作ってみて、それが他の人にも使えそうなものだったら、私にも少し見せてくれると嬉しい。
私も少しだけ用意しているので、いつか機会があれば、交換してみたいと思う。

---

膝下に水が浸かってきみの名を呪文として聞こえるように名乗った/新上達也