葉桜をやってみる

葉桜をやってみる は、荻原永璃・渋木すず・新上達也がときどきひらく集まりの名前。 岸田國士「葉桜」の上演をしようとすることを起点に、演劇や生活、労働、結婚などについて、 もっといいかんじにやる方法を一年ほど模索したりしている。 葉桜の上演時期は未定。ゆたかな副産物を収穫したい。

あなたを待っていない公園(新上達也)

私は、演劇や短歌といったものに多少関わっているが、現在はWebシステム開発という仕事で生計を立てている。

Webシステム開発の仕事は、概ね以下のように行われる。
ある人が「このようにあれ」と願ったもの(仕様)について、どう実現するかを考え、実現方法を設計書(プログラム)として記述する。その設計書がインターネット上に配置されると、それをもとにシステムが動き出し、利用者とさまざまな情報をやりとりできるようになる。

こういったシステムのほとんどは、正しい情報を利用者に入力してもらうための仕組みを備えている。
例えば、住所を入れるべき場所に自分の名前を書いてしまったり、生年月日として未来の日付を入れてしまうと、システムが意図した通りに動かなくなってしまう。
それを防ぐために、間違った情報を入力するとエラー画面が表示されたり、そもそも間違った情報が入力できないような設計がなされている。

あなたが普段触れているブログやSNSスマートフォンアプリといったサービスも、ほとんどが「このようにあれ」という願いのもとに作られており、利用者にもそれを求めている。

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ところで、ブログやSNSに限らず、それにアクセスするための端末も、さらに言えばあなたが利用している食物、衣服、住居といったものも、さまざまな企業や個人が「このようにあれ」と願い、設計したものだ。
食物はあなたに食べてもらうことを期待して作られているし、衣服はあなたに着てもらうことを期待して編まれている。

あなたが日々接する人々も、あなたに対して何らかの役割を期待している。
それは仕事かもしれないし、態度やふるまいかもしれない。日常の会話にすらも「このように受け答えしてほしい」という期待が込められている。
あなたが親しくしている人も、あなたに幸福であってほしいと望んでいるはずだ。

私たちは日々、「このようにあれ」という願いに囲まれて暮らしている。

そういった願いは、私たち自身の「こうありたい」という願いに沿っているならば問題ないが、その願いに沿うことができなくなったときに、私たちを苛んでしまうことがある。
あなたに食べてもらいたい食物、着てもらいたい衣服、あなたに幸せでいてほしい人々は、あなたが食事をとれなくなったり、衣服に見合わない姿になったり、幸福でいつづけることが難しくなったときに、あなたに失望のまなざしを向ける。
食べなかった食物は腐り、着なかった衣服はゴミになり、あなたの周囲にいる人々は、あなたへの態度を変えてゆくだろう。

その状況に置かれると、私たちは「願いを無視する」か、「願いに沿うように自分を変える」かの二択を迫られる。
前者は、それが選べるならよいが、いつも選べる選択肢ではない。期待にそぐわない選択は、いつもエラーになったり、それが選べないような設計になっている。
そして後者は、前者よりももっとひどく、自分の心を痛めつけることになる。
周囲の期待どおりにふるまう自分でいるために、自分の願いを小さく縮めて、願っていないものを願わされてしまう。

もっとひどいときは、期待どおりにふるまえない自分をこの世から消してしまうことで、それらとのバランスを保とうとするかもしれない。
そうなってしまうと、私はもう二度と、あなたに話しかけることができない。あなたが本当は何を願っていたのかは、誰にも分からないまま、腐った食物や着なかった服と一緒に、ゴミ袋の中に沈んでしまう。

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それらの願いと付き合うのに疲れて、自分がいなくなったほうがいいと思い至ったとき、私は公園や河川敷、空港などの場所に行くことで、心を落ち着かせることがある。
これらの場所は、(もちろん何らかの意図を持って設計されているのだろうが)そこにいる人に何らかの態度を強いることがあまりないように思えるからだ。
公園にはいつ行ってもいいし、いつ立ち去っても、誰にも失望されない。
「自分が誰で、どういう状態であっても、そこにいることが許される場所」があるおかげで、私はぎりぎり精神の安寧を保つことができている。

しかし、そういった場所に行く体力や機会も、ときには失われてしまうことがある。
もしも今、あなたがまだ少し体力が残っていて、それももうすぐ失われそうならば、「ことば」をひとつ、用意しておいてほしい。
そのことばは、あなた自身のものでも、誰かが作ったものでもいい。ただし、あなた自身が良いと感じたことばでなくてはならない。
長いことばでもいいが、できれば文章にして一行程度の、暗記できる短さだと望ましい。

いざというとき、あなたが願いのとおりにふるまえず、自分を消してしまいたくなったら、暗記しておいたことばを、その代わりにつぶやくといい。
そのことばは、何も願いがなくなったあなたの代わりに、あなたの願いをうたうだろう。
あなたが誰であっても、どんな状態であったとしても、暗記しておいたそのことばが、まだあなたがあなたであったときのことを知っているからだ。

そのことば自体が、あなたを直接救ってくれたり、あなたの道標にならないとしても、別にかまわない。
しかし、「別にかまわない」という事実は、公園や河川敷のように、あなたをその場所に留めておくことを許してくれるはずだ。

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そのことばは、あなたにとって適切なものである必要があるので、探すのは少し骨が折れる。
もしかしたらぴったり合うものがなくて、自分で作らないといけない場合もあるかもしれない。

もし自分で作ってみて、それが他の人にも使えそうなものだったら、私にも少し見せてくれると嬉しい。
私も少しだけ用意しているので、いつか機会があれば、交換してみたいと思う。

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膝下に水が浸かってきみの名を呪文として聞こえるように名乗った/新上達也