葉桜をやってみる

葉桜をやってみる は、荻原永璃・渋木すず・新上達也がときどきひらく集まりの名前。 岸田國士「葉桜」の上演をしようとすることを起点に、演劇や生活、労働、結婚などについて、 もっといいかんじにやる方法を一年ほど模索したりしている。 葉桜の上演時期は未定。ゆたかな副産物を収穫したい。

お前を攫うためのバンジー(新上達也)

当時の自分の精神を埋め尽くしていたのは、「お前は生きていてはならない」という命令だった。お前は人間としてふさわしくない、だから死ね、という声が、誰に言われずとも常に脳の奥底にうごめいていた。その原因として思い当たるものはいくつかあるが、それをここに書く気持ちには、今でもなれない。

 

そして2015年、私はバンジージャンプをすることにした。死ぬ準備のためだ。

 

バンジージャンプといえば山奥だとか、車がないと行きづらい場所にあるものだと思っていた。しかしインターネットで調べると、電車に乗って1時間ほどで行ける遊園地があり、そこにバンジージャンプ台があることが分かった。値段は安く、予約も要らないらしい。とにかくそこに行きさえすれば、バンジージャンプをすることができる。ひとまず翌日の準備を済ませ、風呂に入って歯を磨いて(死ぬつもりなのに、どうして?)布団に入った。

 

睡眠薬を飲んではいたが、いつもの通りそれがすぐに効くことは稀で、結局眠りにつくことができたのは3時を回ってからだった。目を閉じている間、ずっと自分から自分に対する声が聞こえてきて、うるさくて眠ることができない。当時はずっとそんな感じだったように思う。

 

翌日、睡眠不足のまま電車に乗り、1時間ほどで目的の遊園地に着いた。入園料を払い、ロープウェーで移動する。高所恐怖症の自分にとって、ロープウェーは最悪の移動手段のひとつだ。おまけに睡眠不足のせいで、恐怖に対する耐性が普段よりも低くなっているようだった。

 

最悪の気分のまま、バンジージャンプがある場所まで移動する。遊園地の一番奥に、工事現場で使われる足場のようなもので作られた塔のようなものがあり、それがジャンプ台になっていた。

ジャンプ台に登った後で後悔する客が多いためだろう、料金表の隣には「お支払い後のキャンセルは一切受け付けません」という記述がある。わざわざこんなところまで来て、キャンセルするのは私にとっても意に反する。ひとまず無視して、料金を支払うことにした。

 

「ではベルトをお着けしますので、ジャンプ台の最上階にお上がりください。そらで最上階にいるスタッフが、ロープをベルトに接続いたします」

およそ4階建てのビルほどの高さがあるジャンプ台には、螺旋状の階段がついており、それを自分で登る必要があるようだった。今、俺にこの塔を登れって言ったのか?高所恐怖症なのに?

 

睡眠不足のうえ高所恐怖症の私は、バンジージャンプ台の階段を一段一段、手すりを使いながらゆっくり上がっていく。腹の底から気持ちが萎びていくのを感じる。死刑台に上る死刑囚ってこんな気持ちなんだろうか。(なんでこんな気持ちになりながら、俺はバンジージャンプなんかしないといけないんだろう?)

 

ものすごくゆっくりした足取りではあったが、ようやくバンジージャンプ台の頂上に到達した。すでに「こんなこと早く終わらせてくれ」という気持ちが二、三度よぎっていたが、自分の頭の中から響いてくる「お前は死ね」の声だけが、自分をここまで登らせてくれた。

 

「こんにちは!バンジージャンプ挑戦ありがとうございます!」頂上にいたスタッフは妙にテンションが高かった。「ロープお着けいたしますので少々お待ち下さい!」スタッフは手際よく、ベルトのカラビナバンジージャンプのロープを取り付けていく。いよいよだ、と思った。

 

目の前には柵のない足場だけがある。その下を見ると、4階建ての高さの下に、安全に着地するための巨大なクッションがあり、そこに大きなサメが口を開けたイラストが描かれていた。

 

「では今から、『3、2、1、バンジー!』と言いますので、『バンジー!』のタイミングで、頭から落ちてください!」スタッフの説明が、死刑宣告のように聞こえる。(立っているのさえきついのに頭から落ちるのか?)目がくらくらする。スタッフの誘導に従い、柵のない足場の、その先端に立たされた。

 

「では行きますよ!3、2、1、バンジー!」落ちようとして、反射的に両脇の手すりを掴んでしまった。こんなのできるわけがない。

 

「手すりを掴むと最悪の場合骨が折れる危険がありますので絶対にやらないでくださいね」テンションの高かったスタッフが冷静な声で注意する。でも無理だろ、こんなの。「キャンセルなさいますか?」料金は返ってこないんだろ、分かってる、やるよ、「では行きますね、」なんでこんなことしないといけないんだ、「3、2、1、バンジー!」またしても、体が動かない。「キャンセルされなくても、次ジャンプできなかった場合はキャンセルになりますのでご注意くださいねー」スタッフの冷静な注意が入る。分かってる、死ねばいいんだろ。「では最後ですよ!」知ってるよ、「行きますよ!」だから、「3、」お前は、「2、」早く、「1、」

死ね、

 

「バンジー!」

 

跳んだ。

 

サメの口が描かれた巨大なクッションに、身体がものすごい速さで近づいていく。しかしその直後、自分の体はなにかに思い切り引き寄せられ、同時に身体の前後が反転し、空が、見えた。

 

(青空だ)

 

その後、自分の身体はロープの弾性により何度か上下運動をした後、クッションの上に着地した。

 

ロープとベルトを外してもらい、地面にたどり着いて、呼吸をととのえる。ようやく終わった。死ぬことなく、無事に「死ぬ」ことができた。

 

私の頭の中にはずっと、「死ね」という声が渦巻いていた。包丁を見ればそれで自分の心臓を刺す妄想をし、電車を見ればプラットフォームから飛び降りる自分の姿を幻視していた。私はどうしても、死ななければならなかった。「死ね」という声は、より正確には「お前は正しくない存在なのだから、死ななければならない」という、義務感のようなものだった。でも、(俺は、)死にたくは、なかった。死にたくはないが死ななければならない私は、「死なずに死ぬ」方法を探していて、その手段としてバンジージャンプを思いついたのだ。高所恐怖症の私なら、飛び降りさえすれば、「死んだ」ことになる。でもバンジージャンプなのだから、実際に命を失うことはない。だから、俺は、いま、こうして生きているのだ。

 

あまりにもくだらない計画ではあったが、わずかながら効果はあった。まず、高所恐怖症はもっとひどくなり、「あのビルから飛び降りれば死ねるかな」というくだらない空想はできなくなった。自分の中では、実際に「死んだ」ことがあるからだ。もう二度と死にたくないという記憶のおかげで、その気持ちは少しだけ凪いでくれた。

 

ただ、例えばこれを誰かに勧めたりしようなどとはまったく思わない。死にたいという気持ちの中身は人それぞれで、私とは比較できるものではないだろう。私のそれとは比較にならないぐらい、「死ななければならない」という気持ちに押しつぶされそうな、あるいは、すでに押しつぶされてしまった人たちが存在している以上、こうすれば上手くいくなどとは、当然口が裂けても言えない。

 

でも、バンジージャンプをしたとき。地面に落ちる寸前に引き上げられて、あの青空を見たときに、一瞬思ったのだ。あなたにも、このロープがついていればいいのに。